新潟良寛会 与板訪ねツアー 良寛ゆかりの与板にて良寛さんと豪商の足跡を訪ねる

10月23日あいにくの雨模様の中、新潟良寛会の一行を乗せたバスが長岡市与板支所の駐車場に到着し、さっそく、良寛の里活性化研究会代表の浜田の案内で新潟良寛会の視察研修が始まりました。

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最初に、良寛さんの叔母さんが嫁がれた蓮正寺様を訪れました。当会の紹介ということもあってか、懇切丁寧な説明と特別に貴重な遺品の数々を見せていただきました。本当にありがとうございました。

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良寛さん一族の遺墨が貼り合せられた屏風を説明される住職。

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貴重な良寛さんの遺品である形見分けの袈裟の布を一人一人に見せていただきました。良寛さんを真近に感じることができました。

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本堂裏の墓地にて、自然と法爾の墓碑を見学したのち、豪商が栄華を誇っていた中町から南新町を巡り、長町の久廼弥さんへと足を運びました。
久廼弥さんに上がり、当会が企画提案し商品化した「良寛いつわめし」をいただきました。

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「良寛いつわめし」は、良寛さんの逸話に基づいた献立をお弁当に活かした精進料理です。味付けは砂糖を使わずに、昔から使われているみりんやお酒で味を調えています。
数日前に4名様以上でのご予約で召し上がることができます。ボリュームもタップリで男性でも食べごたえがあります。
ご予約は、久廼弥(ひさのや) TEL0258-72-2708 にて受け賜ります。(水曜日定休)

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食事の後、与板と豪商について、浜田代表より講演がありました。また、故松本市壽先生の二合庵の再建について事務局長の中村よりいきさつ等の説明をさせていただきました。

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久廼弥さんを後にし、すぐ近くの大坂屋別荘「楽山亭」を見学しました。大工さんを京都に修業に行かせて数寄屋造りを学ばせ建てられた建物でいたる所に数寄を凝らして作られています。茶室としても利用され、毎年5月の連休の後にライトアップされて多くの方が訪れる観光スポットになっています。良寛さんが心に抱いていたと言われている維馨尼に宛てた天寒自愛の碑や無二の親友だった三輪佐市との思い出の碑が苑内に建てられていて、良寛さんと豪商大阪屋とのゆかりの深さを語っています。

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次に訪れたのが、香積山徳昌寺です。良寛さんと徳昌寺の住職は法友で、どちらかが先に亡くなったら導師を務めようと約束していたそうです。
江戸時代の火事で焼失しましたが、大坂屋の寄進により再建されています。向拝の右の方にある玄関は、大坂屋のためにだけに作られたと伝えられています。

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徳昌寺墓地の一角に大坂屋の墓所があります。そこには、維馨尼さんと三輪佐市の墓碑がならんでたたずんでいます。

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坂道を下ると直ぐに、池が見えてきます。その傍らに吉井和子先生が命名された維馨尼桜という枝垂桜があり、春には見事に美しく咲き誇ります。以前撮影したものを掲載します。

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史跡の見学としては最後になりましたが、良寛さんのお父さんの生家の跡を訪ねました。生家であった扇屋新木家は庄屋を束ねる庄屋でした。今で言うと役場のような機能を果たした庄屋と言われています。俳諧人として才覚のあった良寛さんのお父さん以南の句碑が残されています。

最後に一行は、与板町馬越の二合庵に立ち寄られて、製塩施設を見学、二合庵にて与板越乃塩をお土産に買って帰途につかれました。
都野神社をご案内できなかったのは、心残りでした。またの機会にお出かけください。熊谷の小林源太郎が三年を掛けて彫った彫刻が見事です。本殿の上屋が改修されたことにより彫刻が見やすくなっています。

2011年11月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : admink

7月23日 良寛の古道を歩こう会IN分水 分水良寛会との共催イベント

分水良寛会との共催で毎年開催しております。通常のルートのほかに良寛さんが上り下りした昔の参道を歩き国上の里を巡り乙子神社に立ち寄り、東参道を登りビジターセンターに戻りました。

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ビジターセンターに集合し、分水良寛会会長の觧良先生のあいさつの後、国上寺へと出発しました。

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先ずは、国上寺にて参拝。

長い石段を下り、途中の香児山休憩所に立ち寄り、五合庵へと下りました。「炊くほどに風がもてくる落ち葉かな」長岡藩の殿様の誘いを断ったと伝えれている句碑を見学。

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五合庵は、国上寺の住職が隠居に使った庵です。最初に住まわれた萬元上人の墓所が五合庵の奥にあります。

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おなじみの五合庵です。何代かにわたり住職の隠居所として使われました。建物も何回か建て直されたと伝えられています。

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「いずくとも替国すれどわがこころ、くがみの里にまさるとこなし」と良寛さんが詠んだ詩碑が、本覚院本堂脇の庭にひっそりとたたずんでいます。周囲には。かわいらしいわらしの地蔵様が寄り添っています。

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本覚院駐車場にて石碑を眺めながら一休み。以外に広い駐車場で車の回転も楽である。しかし、途中の道が狭く大型車は入れない。

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国上の里に下りて、乙子神社の草庵を見学しました。分水良寛会の皆様のはからいお蔭で草庵の中も見ることができました。現在は、ひっそりとした山の中にポツンとあるように見受けられますが、良寛さんの頃は、神社の周囲にも沢山家があって、賑わっていた様です。

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乙子神社の説明に聞き入っているところです。質問も飛び出し、女性の参加者も多く。有意義な良寛古道歩こう会でした。

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最後は、登りです。乙子神社より車道まで階段をあがり、そこから東参道を登り朝日山展望台に出てビジターセンターに戻りました。今回の歩こう会で最も難儀しました。写真は朝日山展望台にある良寛像です。なぜか癒されます。今回は、分水良寛会の会員の皆様が「おめえやれや。おめえしゃべれや」と数人の方からガイドしていただき、新鮮さがあり楽しく巡る事が出来ました。この日の出会いに感謝します。分水良寛会のみなさんありがとうございました。

2011年11月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : admink